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2017,01,09, Monday 悲運の詩人:金子みすゞ「こだまでしょうか」


昨年11月、安部総理とプーチン大統領が会談された山口県長門市へ行きました。そこで訪れたのが「金子みすゞ記念館」でした。以前、金子みすゞの「こだまでしょうか」という詩に接し、その素晴らしさに感動しました。
『こだまでしょうか…「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。 そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか、いいえ、誰でも。』
金子みすゞは1903年、現在の長門市仙崎に生まれ、3歳の時、下関の上山文英堂の清国営口支店長だった父親が清国で不慮の死をとげた。その後、母親が妹が亡くなった後、上山文英堂の主人(妹の夫)と再婚、みすゞはそこの番頭格の男性と結婚し、娘一人をもうけるものの、夫が職場での問題から冷遇され、上山文英堂を追われ、みすゞも夫について行ったものの、夫の放蕩が止まらず、みすゞの詩の投稿や詩人仲間との文通も禁じた為、みすゞは離婚を決意しました。
1930年、離婚が決まり、娘の親権を強硬に要求し、夫への抵抗心から3月10日、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺、みすゞは26歳の短い生涯を閉じた。自殺の前夜、みすゞは一人娘とお風呂に入り、多くの歌を聞かせたそうです。1980年代の初め、金子みすゞの遺稿集が発見され、出版されました。