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2019,11,03, Sunday 「島守の神」:島田叡戦前・戦後の沖縄県知事


沖縄の高校野球県大会で優勝校に与えられるトロフィーは「島田杯」です。
沖縄戦が始まる直前、現職知事が職務を放棄し、本土へ帰った為、急遽後任を決めることになった。「死にたくない」と皆断る中、「私が行かないなら、誰かが行かなければならない。自分は死にたくないから、他の誰かが行って死ねとは言えない」と、即座に沖縄県知事を引き受けたのが、当時、大阪府の内政部長だった兵庫県出身の島田叡43歳でした。
沖縄県知事として赴任し目覚ましい働きをした。その一つが沖縄本島にいた約49万人のうち、約22万人の人々を僅か2カ月で疎開させた。結果的に約10万人の県民が亡くなりましたが、もし島田知事の努力が無ければ、犠牲者は2〜3倍になっていたと思われます。
沖縄戦が始まった時、某新聞社の支局長が島田知事に、「知事さんは軍人ではないのだから、沖縄県民と最後を共にしなくてもいいのではないか」と言うと、島田叡知事は「知事として私は生きて帰れると思うかね。県民がどれだけ死んだか知っているだろう。私ほど県民の力になれなかった知事はいない」と言った。この言葉どおり、島田知事は沖縄に残り、自決して県民と最後を共にしました。
素晴らしい生き様です。
島田知事は尊敬する西郷隆盛の言葉、「偉い人とは地位の高さでも、財産の有無でもない。偉い人とは、後ろから拝まれる人、死後慕われる人」となるべく最善を尽くされました。