活動


2016,01,24, Sunday 『熱き心が人間力を高める』、樋口武男:大和ハウス工業(株)会長


 昨日、「到致」出版主催のセミナーに参加させて戴きました。講師は大和ハウス工業(株)樋口武男会長と全盲ろうの東京大学福島智教授でした。
樋口会長の講演で印象に残ったのは、祖母の教えとして「ウソとゴマカシはあかん」、「明日不可欠の…世の中の人にお役にたてる事業と政策が基本」、大和ハウス工業(株)創業者、故石橋信夫オーナーの言葉「樋口君、長たる者は「決断」が大事やで…(樋口会長が36歳で山口支店支店長時に支店経営で壁にぶち当たっていた時に戴いた言葉)」、「何が正しいかと「志」が大事」などなど。私は昭和48年から約7年、大和ハウス工業に在籍させて戴きましたが、その時の売り上げは約2000億円でしたが、創業60年の今期は3兆1800億円余とのこと、石橋創業者から言われている創業100年に売上10兆円に向かって進む樋口会長の並々ならぬ気迫を感じました。
 全盲ろうの福島智東大教授は、9才で視力を失い、18才で聴力を失い、広い宇宙へただ一人放り出された「無限の断絶」を感じたそうです。最初、「何で僕だけがこんな目に合わなければならないのか」「何で目が見えなくなった上に、耳まで聞こえなくなるんだ…」と思った。しかし、「俺は何で生きているんだ」、自然か・運命か?俺は生かされているんだ。俺が活きているのには「意味」があるんだと、思ったそうです。
 「もうこれ以上、悪くならない」との思いの基、生かされている「使命」を全うされている福島教授の人間力に感動させられました。写真左が石橋武男会長で、残念ながら福島智教授の写真はありません。

2016,01,24, Sunday 齋藤健農水副大臣に御礼:屋島の整備


 平成25年秋、当時、環境省政務官だった齋藤健先生に屋島北嶺から瀬戸内海の景観を堪能できるよう整備をお願いしていた所、現在、北嶺には展望台が4箇所ありますが、あと3箇所が整備される予定となりました。これで昭和9年3月16日に日本の国立公園指定第1号の屋島からの瀬戸内海の景観がより一層堪能できるようになります。
 今年3月20日から第3回瀬戸内国際芸術祭が始まりますが、瀬戸芸の賑わいと同じく、少しでも屋島が高松東部を代表するランドマークとなり、賑わいの創出につながるよう最善を尽くさせて戴きます。
 また、齋藤健先生は現在、農林水産省の副大臣であられますので、香川県は日本一狭い県ですが、全県に1万4619箇所のため池があり、県土に占める面積割合が7.7%であり、南海トラフを震源地とする巨大地震への対応として、老朽ため池の耐震整備や水路改修への予算要望をさせて戴きました。

2016,01,12, Tuesday 本川一善農水事務次官・大いに語るin高松


 高松高校出身の本川一善農林水産省事務次官が来高され、農林水産業の現状と課題、今後の取り組みについて大いに語られました。
 平成24年度、日本の国内生産額は911兆円で、その内農業食料関連産業は95.2兆円で、国内生産額の約1割である。我が国の農業をめぐる状況は平成27年、基幹的農業従事者数は177万人、平均年齢67.1才、荒廃農地面積は平成26年27.6万haで、その内、再生利用可能農地は13.2万haである。
 今、世界の人口は約73億人で2050年には約96億人まで、約23億人増える見込みで、また中国・インドを含むアジア全体の食(加工+外食)の市場規模は2009年の82兆円から2020年には229兆円と、約3倍増える予測です。平成26年の農林水産物・食品の輸出額は6117億円と過去最高を記録したものの、九州と同じ面積のオランダの農産物輸出額は10兆円超であり、またTPP参加12か国の経済規模は3100兆円で、世界全体の約4割、市場規模(人口の合計)は約8億人で、世界全体の約1割である。
 このようなことから、生産基盤の整備と規模の拡大、国内外での需要フロンティアの拡大等、攻めの農林水産業を展開すれば、日本の農業は、魅力ある成長産業になると、本川農林水産事務次官から学ばせて戴きました。

2016,01,09, Saturday 四国遍路:うるう年の今年は「逆打ち」の年です!


 四国遍路を時計まわりに巡ることを「順打ち」、反時計まわりに巡ることを「逆打ち」と言います。
「逆打ち」の始まりは、天長年間(824〜834)、伊予の国(愛媛県)に衛門三郎という庄屋が住んでいた。ある日、托鉢僧がやって来たが、衛門三郎は追っ払ってしまった。その翌日から子供達に異変が起こり、わずか8日間で8人の子供が全員亡くなった。悲しみにくれる三郎は、「あの時の托鉢僧は『弘法大師様であった』と気付き、許しを請うために巡礼している弘法大師様の後を追い、巡礼を始めた。ところが20回巡っても、いっこうに弘法大師様に会うことが出来ず、21回目に、「逆に巡れば会えるのでは」と思い逆から巡った。長年の苦労もあり、第12番焼山寺の山下で倒れ意識が遠のく中、ついに弘法大師様が現れ、全てを許された衛門三郎は安らかに成仏した。
 逆から巡り始めた年がうるう年であったことから、4年に一度のうるう年に「逆打ち」すると弘法大師様に出会えると言われており、「逆打ち」は「順打ち」の2〜3倍のご利益があると言われています。