活動


2018,03,27, Tuesday 「維新の人物に学ぶ」致知セミナーin東京


19世紀、アフリカで欧米諸国の植民地にならなかったのはリベリアとエチオピアだけであり、エチオピアも20世紀に入るとイタリアの植民地となった。一方、アジアではタイと日本が植民地にならなかった。タイは国王が立派だった。唯一、完璧に独立を守りぬいたのが「日本」である。
一つの例をあげれば、日露交渉時、プチャーチンと幕府代表川路聖謨が1855年長崎で日露和平条約で、国境を決める交渉をした。プチャーチン・「択捉島はどちらの島と思うか」、川路・「あなたは妙なことをおっしゃいますね。以前、ブローニンが国後島にやってきて日本は逮捕した。その時、択捉島までが日本領としたではないか」、プチャーチンは引き下がった…などなど。川路聖謨を含めて、当時の江戸幕府の役人はしっかりと歴史を頭に入れると共に、相手の手の内を読んで交渉した結果、日米通商条約など、不平等条約もあったものの、可能な限りの交渉をした事例を学ばせて戴きました。
講師は中村学園大学の占部賢志教授でしたが、先生、最後におっしゃられたのは、全ては「蛍の光」にある。1、蛍の光 窓の雪 書よむ月日 重ねつつ いつしか年も すぎの戸を 明けてぞ 今朝は 別れゆく 2、とまるも行くも 限りとて かたみに思う 千よろずの 心のはしを 一言に 幸くとばかり 歌うなり 3、筑紫のきわみ 陸の奥 海山遠く へだつとも その真心は へだてなく ひとつに尽くせ 国のため 4、千島の奥も 沖縄も 八洲のうちの 守りなり 至らん国に いさおしく つとめよ わが兄 つつがなく
「蛍の光」は明治14年、スコットランド民謡を原曲に、作詞は稲垣ちかいです。残念ながら、最近「蛍の光」や「仰げば尊し」が歌われることが少なくなっています。ちなみに台湾では、未だに「仰げば尊し」が台湾語で歌われています。

2018,03,26, Monday 安藤忠雄先生の作品in東京


写真は「表参道ヒルズ」&「21-21DESIN SIGHT」です。
「表参道ヒルズ」の地には、かつて関東大震災の後、復興計画の一環として、近代日本で最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅である「旧同潤会青山アパート」が建っていました(今も一部が残っていました)。建て替え計画当初より、「風景をどう残していくか」が主題の一つだった。この主題に対する安藤忠雄の解答が、『地下空間を最大限いかし建物ボリュームの過半を埋設して、建物の高さをケヤキ並木と同程度に低く抑え、表参道の穏やかな坂道をそのまま建物内のパブリックスペースとして取り入れる」というものです』
建物内は歩道の勾配に合せて緩やかな坂になり、内部も素晴らしい空間を醸し出していました。また、表参道ヒルズと歩道の間には常時水が流れる工夫がなされており、心と自然がマッチす癒し空間となっていました。正にデザイン力が街の魅力を醸し出しています。
また、「21-21DESIGN SIGHT」は東京ミッドタウン・ガーデン内にあり、公園や近隣の景観に溶け込んだ素晴らしいデザインでした。そこに至る歩道にも石で作った水路があり、表参道ヒルズと同じく、素晴らしい癒し空間を醸し出していました。今後の本県の街づくりに大いに活かすべきと学ばせて戴きました。

2018,03,19, Monday 断トツの芸術の力in耕三寺


昨年11月以来、再度、しまなみ海道の生口島にある耕三寺へ行きました。
西の日光と言われている耕三寺の素晴らしさは、写真の芸術活動の一環として取り組んでいる「未来心の丘(みらいしんのおか)」です。世界を舞台に活躍されている彫刻家”杭谷一東(くえたにいっとう)”先生が制作された作品で周囲の景観、自然に溶け込んだ素晴らしい芸術で、多くの若者が来訪していました。
香川県は今、「断トツの文化芸術の力で香川を日本一住みたいまちに」をキャッチフレーズに未来の子供たちに誇れる街づくりに取り組んでいますが、耕三寺の発想・取り組みは大いに学ばなけれならないと、再度訪れ改めてそう思いました。「Jewel in the inland sea!」と言われている、多島美の瀬戸内海と屋外には彫刻、屋内には絵画・壁画を設置し、自然美と人工美を溶け込ませれば素晴らしい、世界の誰もが訪れたくなる、住んでみたくなるふるさと香川になると思います。
正に建国後150年余しか経っていないアメリカ合衆国が世界一の大国になったのは、1929年の世界大恐慌の後、「アメリカ連邦美術計画」を立案し、全米の多くの芸術家に彫刻や絵画を制作して戴き全米に設置したからだと私は考えていますが、そのような中、本県の「断トツの文化芸術力で香川を日本一住みたいまちに」との計画は大変素晴らしく、香川県議会議員として耕三寺での学び、アメリカ、イタリア、スイス、ドイツなどでの学びを活かすよう取組ませて戴きます。

2018,03,13, Tuesday 忘れてはならないスリランカと日本の歴史…


昭和26年、日本はサンフランシスコ講和条約の締結により主権を取り戻しました。
4年後の昭和30年にインドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議に出席した日本代表は袋叩きに逢うことを恐れたものの、まったく逆で、日本代表が会場に入るなり、会場を埋めた各国代表はスタンディングオベーションで日本代表を迎えて下さった。確かに日本が戦争を行ったことで傷ついた人々がいたことは事実です。その半面、日本が米英を相手に立ち上がったから、独立を果たせたと考え、日本に感謝してくれている人々も多くいたことを、このスタンディングオベーションは物語っています。
「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ、慈悲によって消え去るものである」とスリランカ代表のジャヤワルダナ氏は仏陀の言葉を引用して国家間の礼節と寛容を説いた上で、こう続けたそうです。「アジアの諸国民が日本は自由でなければならないということに関心を持っているのは何故でしょうか。それは日本と我々の長年の関係の為であり、そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり、日本を保護者として見上げた時に、アジアの諸国民が日本に抱いていた高い尊敬の為であります」と。長年、西洋諸国に虐げられてきたアジアの民にとって、大国ロシアを破り独立を守った日本は希望の星だった。
そしてジャヤワルダナ氏は、スリランカが一切の対日賠償請求権を放棄することを明言しました。日本が戦後初めて正式な国交を結んだ国はスリランカです。吉田茂首相は『スリランカへの恩を、日本人は未来永劫伝えなければならない』と言っているものの、残念ながらこの史実は伝えられていません。
香川県議会議員として、この史実を含めて私達が感謝し続けなければならない歴史、私達の誇れる歴史を伝え続けるよう頑張らせて戴きます。

2018,03,06, Tuesday ふるさと香川の教育力向上に向けて…


 丹羽宇一郎氏(元伊藤忠商事株式会社社長、元中華人民共和国大使)によりますと、2012年のハーバード大学への日本の留学者数は、MBAを入れても、わずか10数名で、中国の582人に大きく引き離されている。若い世代の交流が無ければ相互理解が進まず、世界平和や経済交流に支障を来たすと、危惧されています。また、1962年のイギリスの雑誌、「エコノミスト」によれば、当時のイギリスの大学進学率は7%であるのに対して、日本は11%だった。戦後20年も経っていないのににもかかわらず日本は教育を重視したが故に、科学技術の研究者や工場技能工の水準が高く、エコノミスト誌は日本を「ミラクル・ジャパン」と称賛したそうです。
 ふるさと香川県の教育力向上のために、高木英一は3月16日(金)AM10:00より香川県議会において一般質問させて戴きます。