活動


2019,09,28, Saturday 大町&田井幼稚園の運動会


今日、牟礼町内の幼稚園、保育所、子ども園で運動会が開催されました。
写真は大町幼稚園と田井幼稚園の運動会です。大町13名、田井12名の運動家です、田井幼稚園では、12名全員で写真の遊戯をしていました。そして大町幼稚園では2名の3歳児の子供たちが先生と3人で遊戯していました。昨年、香川県で生まれた赤ちゃんは7300人余でその内3人目以上は1300人余でした。今から10年位前は大町、田井幼稚園も園児たちで運動場がいっぱいだったことを思いますと、人口減少の現実をひしひしと感じました。
人口減少時代にふさわしい幼児教育、小・中学校教育、高校、大学教育と社会のニーズにふさわしい教育はどうあるべきかをしっかりと学び・研究し実践しなければと思いました。
香川県議会議員として、しっかりと学び、政策提言させて戴きます。

2019,09,26, Thursday 1000年の歴史:六万寺の神相撲


先日、約1000年の歴史があると言われている、高松市牟礼町の六万寺の神相撲が開催されました。
牟礼町は源平合戦でも有名な地です。1185年2月19日、源義経率いる源氏軍が小松島に上陸し、源平合戦屋島の戦いが始まった、と言われています。
その時、幼少の第81代安徳天皇はお母さんの建礼門院徳子(平清盛の娘)と共に六万寺に御在所され、幼少の安徳天皇を慰めたのが六万寺の神相撲と言われています。
牟礼町は天皇家とご縁のある町で、直近では平成16年10月の全国海づくり大会では、平成天皇皇后さまがイサム・ノグチ庭園美術館に来訪戴きました。そして、紀元前とも後とも言われていますが、牟礼町に眠る第12代景光天皇の第5皇子の神櫛皇子様が高松町の地にお越しになられてから、香川の国造りが始まった、と言われています。
そして、江戸時代中期には、牟礼町出身の儒学者柴野栗山先生が、全国の天皇陵を調べようと奈良県橿原神宮にある初代神武天皇陵へ行き、朽ちかけていた天皇陵を整備してから、天皇陵が再整備なったと言われています。
御代となり令和が始まりました。六万寺の神相撲も地元の保存会の皆さまと田井自治会の皆さまのご尽力で守られています。ただただ感謝感謝感謝です。

2019,09,21, Saturday 廃棄物が貴重な資源に!


先日、環境建設常任委員会の現地視察で、綾川町の(株)富士クリーンさんとさぬき市の(株)森づくりさんへ行きました。
(株)富士クリーンさんでは、主にに日量約36トンの家庭用ごみを観音寺市から受入れ、メタン菌で廃棄物中の有機物を食べさせメタンガス(バイオガス)を作っている。処理能力は日量約73トン(稼働率は70〜90%)で、バイオガスでの発電量は一日約2000戸分の発電で、工場内等で活用している。
(株)森づくりさんは日量約80トン、年間で約2万トン(香川県では年間約4万トン発生)の下水汚泥・残渣を処理している。下水汚泥・残渣に木くずと刈り取られた草を混ぜ発酵させバイオマス燃料のハンポスト(石炭火力の約1/2)を作っている。今、CO2の削減が叫ばれていますが、香川県が削減しなけれならないCO2の約1.2%(富士クリーンさんで約2%)の削減に貢献している。
旧牟礼町は下水残渣を特殊車両で山口県の徳山迄運搬し処理していました。このことを考えると、ものすごい社会貢献です。
『廃棄物が貴重な資源』になっています。地球温暖化により今世紀末には海面が約1メートル上昇するとの予測がありますが、この両者のような取組み&技術開発が進めば、地球温暖化の抑止に大いに貢献できると思います。香川県議会議員として、地球温暖化抑止の為に最善を尽くさせて戴きます。


2019,09,16, Monday 素晴らしい日本の伝統技術in真庭市


先日、真庭市の遷喬尋常小学校跡へ行きました。写真は全景、正面玄関の面取りされた石段、そして2階の講堂です。
真庭市は森林に恵まれ今も素晴らしい製材技術があります。高層木造建築は真庭市が日本における発祥の地と言っても過言ではありません。木と石を呻く組み合わせると共に、2階に講堂を配置する設計は見事でした。
改めて「新しい技術」の研究開発と「伝統技術」の継承が大切だと学ばせて戴きました。それと共に、写真の景観は日本の国土&風景に見事に溶け込むし、今、外国人観光客が3000万人を突破し、人口減少下、日本経済の活性化に大いに寄与して戴いていますが、日本のより一層の魅力増に、このような木造建築&石材の活用が重要だと改めて思いました。

2019,09,14, Saturday 韓国について:徴用工問題の真実


『2018年10月30日のいわゆる「徴用工」裁判によって日韓関係はさらに悪化した。韓国の裁判所は、これまでの判決内容(日本企業側無罪)を無視して差戻判決を下し、一転して日本企業側の敗訴が確定した』と、ある定期購読誌の「徴用工問題の真実」と言う記事がありました。
1939年から1945年まで韓国の人々は無理やり日本に連れて来られ、奴隷のように日本で重労働を強いられた、と言っている。しかし、韓国で徴用令が発動されたのは1944年9月からであり、それ以前は「募集」や「官斡旋」であった。期間を考えれば当時の韓国人たちは自らの意思で日本へ渡航してきたのである。このことから、彼らを「徴用工」と称するのは正確でない。
台湾に台湾高座会があります。昭和17年当時、若年労働者が不足していた海軍は、台湾総督府へ若年労働者となる学生の募集を要請した。「年端もいかない子供たちを好条件でだまして連れてきて、酷使して使い捨てた」と非難する人もいます。しかし海軍は彼らを大事に扱い、戦局の悪化から、一部約束を果たせなかったところはあったものの、高座海軍工廠を始め、来日した8400名の少年はそれぞれの現場で見事役割を果たした。「台湾高座会」はこの方々が結成した同窓会組織です。
台湾少年工75周年を記念して昨年、座間市に「台湾少年工を讃える顕彰碑」が建立されました。
正しい誇れる歴史を将来世代に継承していくよう頑張らせて戴きます。